2008年02月14日
日本ピラミッド
これもまた結構前の話だが、広島県北部にある「葦嶽山」に行ってきた。
ここは一見何の変哲もないというか、特に名物のようなものがある山ではない。
だがしかしこの山には大きな秘密がある。
…実はこの山、「ピラミッド」なのだ。
昭和2年。酒井勝軍という、旧日本軍の軍人が中東・パレスチナ地方の視察に赴く。
酒井はユダヤ研究の第一人者として河豚計画にも影響を与えた人物であり、ユダヤ・シオニズム運動調査の一環としての視察であった。酒井はこの時エジプトにも立ち寄り、ピラミッドの偉容を目撃。よほど衝撃的だったのか帰国後、日本の超古代史の研究に没頭していく。
酒井が超古代史研究に没頭しているころ、日本では天津教という宗教集団が世間の話題を独占していた。この教団は竹内文書という神代文字で書かれた文書を所蔵しており、これには一説によると3157億年も前からの日本の歴史が記されていたという(日本にキリストの墓があるとか、ヒヒイロカネについての記述とかも掲載されていた)。酒井は早速教団にコンタクトをとる。
「おたくの文書に三角形の大きな墓の記載はありませんか?」「ああ!載ってるよ!」
…日本にピラミッドは存在する。確信を得た酒井は三角形の山を探し始めた。そして見つけた、葦嶽山を!
その後、日本が急速に軍国主義化していったり、天津教が政府に目を付けられて竹内文書の真贋が裁判にかけられたりと紆余曲折があり、酒井いわく「山頂にあった巨石(太陽石)もその流れで軍部の敵対派に爆破されてしまった。確かにあったんだよ、太陽石は!」
との事だが、真相は闇の中…。
そんないわくつきの葦嶽山だが、現在は国道で見た日本道路公団が掲げる青い看板にも「日本ピラミッド」とちゃんと書かれている程度には認められている。村おこしのための圧力とかなのかもしれないが、もしそうだとしても胡散臭さはロマンという便利な言葉で隠しつつ、利用できるものは利用する。そんな強かさを感じて頼もしい気分になったりもした。
で、実際の日本ピラミッドは…険しかった。
ハイキングコース、と名前は付けられているが途中からほとんど獣道になってしまい、軽装で登っていた自分は泣きそうになった。ところどころに存在する巨石には「獅子岩」とか「供物台」とかキャプションが付いているが、よくわからない。山自体の形も「隣の山から見ると三角形に見える」との触れ込みだったが他の山も全部三角に見えた…。
でも、あの竹内文書ゆかりの地に今立っているのだ、という妙な高揚感だけはやたらと感じたので、自分はつくづく嫌な性格だなぁと思った。
投稿者 mozi : 2008年02月14日 23:40
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